とりあえずArea
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最近Areaに凝っているので、勢いに任せてBlogを作ってみましたが、忙しさにかまけて朽ち果てていました。
そろそろ新装開店しようかと思いますので、とりあえずテンプレートを変えてみました。
とりあえず本家はここ。
ご意見、御希望等ございましたら、コメントをお願いします。
thmonk拝
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最近Areaに凝っているので、勢いに任せてBlogを作ってみましたが、忙しさにかまけて朽ち果てていました。
そろそろ新装開店しようかと思いますので、とりあえずテンプレートを変えてみました。
とりあえず本家はここ。
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thmonk拝
ここの所ほとんど仮死状態だったこのblogだが、書いている本人は一応生きている。
本家のネタ探しにyoutubeをほっつき歩いていたときに見つけたAreaのVideoをとりあえずご覧あれ。
1976年のSwissのTVのもので、Ares TaravozziとGiulio Capizzoが戻ってきてPaolo Tofaniが脱退する直前の短い時期に収録されたものらしい。
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とりあえず、再開第一弾として、ちょっと手抜きですが、本家に載せたArea関係の記事をまとめてみました。
ご意見・御感想等お待ちしております。
Patrizio Faricelli, Area variazioni per pianoforteのDVD紹介
I Califfi, Al Matto(Paolo Tofani在籍時のcompilation CD)
Paolo Tofaniの1966年のrecordingを含むcompilation、Garage Beat In Florence
Are(A)zione (Live improvisation)
Recitarcantando (Demetorio and Licio Fabri)
Luglio, agosto, settembre (nero) (Paolo Tofaniその後)
以下の話はFariselliのサイトでの彼の随筆の抜粋に、他の参考文献からの補足をしたものである。さて、Arbeit Macht Freiで始まりのdrums soloの後、bassが入る直前に、鳥の鳴き声が聞こえ、その後揺れた銅鑼の音と水の流れる音が入るのにお気づきだろうか?この銅鑼の音はスタジオにおいてあった古いトラックの上に放置されていた大きな銅鑼のものらしい。Dimetrioが銅鑼を叩きながら、水をかけることにより、音を揺らした音をとり、これをintroに使いたいと言った。そこで、銅鑼をスタジオに持ち込もうとしたが、水で床を濡らすので、スタジオの管理者にそれをやるのを断られたらしい。そこで、銅鑼をトラックに立てかけ、水をかけ、それをスタジオから伸ばしたマイクで収録することになったのだが、Milano市内のスタジオだったため、周りの車の騒音が入ってしまい、上手くとれず、静かになるのを何時間も待った。で、やっと車の音が、静まった瞬間に銅鑼を鳴らしながら水をかけ、収録に成功したのだが、さてレコーディングを聴いてみると、車の音に気をとられて気づかなかった鳥のさえずりが入っているのに気づいた。しかし、妙に導入部にあっていたので、それをそのまま使ったと言うことである。FarriselliによればAreaはCramps時代、音楽的なproducerは居らず、Mixing等も含め基本的に自分達で行い、ベースとなるオケの演奏は一発取りで、それにVocalや必要な楽器、sound effectを重ねる方法を自分達で試行錯誤を繰り返しながら行っていたらしい。彼はAreaは自分にとっての大学のようなものであったとinterviewで語っている。このエピソードに見られる、自分達で納得する音を、自分達のアイデアで作っていく姿勢が、cramps時代彼らの独特な雰囲気を作ったのかもしれない。
AreaのDrumerであるGiulio Capizzoが日本でLiveをやったのをご存知であろうか?その昔、バブル華やかなりし頃に霞町の交差点を少し広尾の方へ入った所にBohemiaというLive spotがあった。今は確か無国籍料理の店か何かになっていると思うが、ここの音楽監督をJazz Trumpetterの三宅純さんがやっており、当時のCapizzoのBand、"AreaⅡ"を呼んでLiveをしたのである。ここには、私は見に行けなかったが、BancoのNocenti兄弟もAKAIの製品の宣伝がてらLiveをやっていった。確か1988年頃だったと思う。私は家人と共に見に行ったのだが、覚えているのは"Arbeit Macht Frei"を持っていって、Capizzoにつたない英語で"Arbeit Macht Freiは私にとってのbest albumだ!"と言ったら、顔をくしゃくしゃにして、親指を立てながら喜んでくれたこと、サインしてもらうためにRecordを持っていったのだが、馬鹿な私は黒マジックを持っていったので、黒が基調のAlbeit Macht Freiにサインしてもらっても見えないので、持っていたreport用紙にサインをしてもらったこと(更にアホな私はこのレポート用紙を"Arbeit Macht Frei"に挟んでおいたのだが、見つからない、何としても探し出さねば...)。店の構造が確か中が吹き抜けの2階建てになっていて、奥の席にすわるとステージが見えにくかったこと。などで、残念ながらOriginal Areaがらみの曲は一曲も演奏しなかった。曲は多分、AreaⅡの2枚のCDからの曲が主体だったのだろう。drums, bass, keyboard, guitar, saxの5人組で、耳障りの良いFusion touchの曲が主体だったのだがリズム隊の切れがめちゃくちゃ良かったのだけは印象に残っている。今年はArti+Mestieriもついに来日するとのこと、Patrizio Fariceliにも是非来日して欲しいものである。
さて、Areaと言えばやはり1stの1曲目Luglio, agosto, settembre (nero)のあの8+7+8+6のBalkan phraseが最初に頭に浮かぶ方も多いかと思う。私も初めてあの曲を聴いたときの背筋に震えが走る感じはいまだに覚えている。
本家でも書いたが、Area本でFariselliがLuglio, agosto, settembre (nero)のネタになった曲として当時変態変拍子Big BandをやっていたDon EllisがBlugariaの民謡の楽譜を、当時BulgariaにいたPianist、Milcho Levievに送ってもらい、それを集めてarrangeしたBulgarian Bulge(public domain/arranged by Don Ellis)をあげている。Area本によるとFaricelliが友人の家でこの曲を聴き、この曲の中のFrank ZappaそっくりのTrombone奏者のsoloを聴いて、inspirationが沸き、一気にあのフレーズを書き上げたといっている。Original RecordingはUndergroundに収録されているが、残念ながらこれは現在廃盤の様である。しかし、彼らのLive、Tears of Joyでその演奏が聴ける。このVersionではAmericaへ渡ったMilcho Levievのアクの強い33拍子のsoloが聴ける。この曲はどうも、BulgariaのHoroとよばれるダンス音楽の中でも、変拍子が中心のRatchenitzaという民謡が元になっているらしい。
で、Bulgaria民謡のCDを漁っていたら、1955年にブルガリアの民謡をPhillip Koutevという指揮者が集めた"Music of Bulgaria"というCDを見つけた。この中で、Jivka Klinkovaという女性の作曲家がBulgariaのanonymousな民俗音楽を集め、arrangeしたBulgarska Suita(1950)という曲を聴いてびっくりした。"黒"のphreaseの宝庫なのである。彼ら自身がこの曲を聴いて影響を受けたのか、各々の民謡のphreaseから影響を受けたのかは定かではないが、1970年代初頭という時代にBalkan MusicをJazz Rockに持ち込むというこのuniqueな発想はどこからきたのであろうか。
[補足]
オラシオ主催万国音楽博覧会を主催されているオラシオさんからの情報によればDon Ellisの所でsoloをとったtrombone奏者はGlenn Ferrisと言う人だそうで、ZappaのGrand Wazooにも参加しているとのことである。
情報をいただいたオラシオさんに感謝いたします。
さて、Capizzo亡き今、往年のAreaを継ぐmusicianはPatrizio Fariselli Projectを率いるKeyboardのPatrizio Fariselli一人になってしまったが、彼がMaenzaの古城で往年のAreaの曲をPiano soloで12曲収録した"AREA, variazioni per pianoforte"が、製作過程を収めたDVD(こちらはlimited edition)と共に3月に出ると、彼のhomepageで予告されている。録音は昨年の10月9日に行われ、演奏された曲目はLuglio, agosto, settembre (nero), Cometa rossa, Gioia e rivoluzione, La mela di Odessaなどであったとの事である。
また、Patrizio Fariselli Projectの1st、Lupi sintetici e strumenti a gasを聴いて欲しい。Area直系の音楽に女性Vocalが乗るすばらしいAlbumである。以前本家で
Patrizio Fariselli Projectについて書いた記事はこちら。
多分Event 76'に次いで、余り話題にならないAlbumかも知れない彼らの2nd album、Caution Radiation Area。かくいう私もLP時代はこのalbumを持っていなくて、10年位前にCDが出た時に初めて聴いた。余り話題に上らない理由は多分、Areaのalbumの中でももっともJazz、それも60年代末から70年代初頭のfree jazzやMiles Davis、Gil Evansなどの電化main stream jazzの影響が強いalbumであるからの様に思える。完成したTapeを聴いて、当時彼らやPFM、BancoなどのManagerをしていたFranco Mamoneが激怒し、Managerを降りてしまったというepisodeもうなずける程、ここではpop的、叙情的なものは一切排除されている。1曲目Cometa rossaを除けば、どの曲もまるで70年頃のMiles Davisを思わせる半分free form、半分Jazz Rock的な演奏であり、最後の曲LobotomiaはPaolo TofaniがカセットでEMS synthsizerを使い録音したアバンギャルドなsoudscapeである(この曲はheadphoneでは聴きたくない...)。Patrizio Fariselliはinterviewで、”SaxのEddy Busnelloが抜けた分、Jazz的な要素が少なくなり、現代音楽的な要素が強くなったAlbumだ。”と述べているが、ここでいうJazz的なものとは、Area加入当時既にJazzのback musicianとしてベテランになっていたEddyがbackgroudとして持っていったhard-bup的な物を指しているのではないかと思う。そして、Patrick Djivasの代わりに加入したAres Tavolazziは元々Jazz Musicianであったが、彼の演奏のbackgroudは新主流派的なものであったのだろう。彼はこのalbumではacoustic bassを使うことが多く、そのmodalなbass riffも当時の新主流派的な雰囲気に輪をかけているように思える。いわゆるArea的なBalkan phraseは余り聴かれないものの、硬派のJazz Rock作品としては私にとって1,2を争う好盤である。
"Arbeit macht frei"でsoprano & alt-saxを吹いているVittorio Edoardo "Eddy" Busnelloは1929年、北ItalyのNervesa della battaglia生まれで、1950年代は主にBelguimでAlt-Sax、Baritrone-Saxを吹いてpro musicianとして活動を始めた。50年代末にはドイツのKurt Edelhangenのbig bandにb-Sax奏者として加入し、このときMiles Davisなどとも共演したらしい。またこの時Jean-Luc Pontyと共演したCDが2001年に日本で再発されている。60年代にはParisに住み、Bud Powellと共演したのを初め、1960年代に彼がside manを務めたJazzのrecording、liveは膨大で、Kenny Clarke、Elvin Jones、Albert Mangelsdorff、Lee Konitz、Mal Waldronなどが挙げられる。こことここで、彼の60年代の演奏を試聴出来る。また1980年にFariselli、Tavolazzi、Capiozzoと演奏したときの音もここで聴ける。1985年、心不全の為に56歳で亡くなった。AreaのbiographyでのFariselliのinterviewによれば、Eddy Busnelloは”まるで映画のround midnightに出てくるDale Turner (Dexter Gordon)のような人生を送り、あの映画は涙なしでは見られなかった”と言っている。調べてみた限りでは、彼がいったいどうなったのかわからなかったのだが、どなたかご存知の方がいらっしゃれば是非教えていただきたい。
(DemetrioのRibelli脱退後と、Crampsの創設者であるGianni Sassiの話を書きたいのですが、まだ資料が集まっていないので、とりあえずその4まで話が飛びます。これはそのうち...)
AreaのDrumとなるGiulio Capizzoは1969年にthe Egyptian Conservatory of the CairoでpercussionistであるAli Mohammedに師事していた。これはAreaの中東的なrhythm arrangeに少なからず影響を与えているのかもしれない。1971年、Demetrio StratosはGiulio Capizzoと出会い、これにLucio Dallaのバックを務めていた、Bassの後にPFMに加入するPatrick Djivas、PianoのLeandro Caetanoの2人が加わり、4 piece bandを結成。イタリア各地のDance Clubをドサ回りする。この頃はJazzに近い音楽を演っていたらしい。このbandにSaxのEdouard Busnelloが加わった。さらにGuiterのJohnny Lambrizziが加わり、Rock的な要素を増す。この後、主にPianoのみを演奏していたLeandro Caetanに代わり、Giulio Capizzoの幼馴染である軍隊帰りのKeyboard奏者Patrizio Fariceliが加わる。彼はArp Odysseyを初めとしたSynthesizerも弾き、軍のブラスバンドでSaxを吹いた経験があり、AreaでもKeyboardと共にbass-clarinetを演奏している。
1972年に彼らはPFM、BancoなどのManagerをしていたFranco Mamoneに目をつけられ、彼のアドバイスでGuitaristをCaliffi, Noi TreでGuitarを弾き、当時Londonに住んでいたElectric Junky、Paolo Tofaniを呼び寄せ、首をすげ替えることにする。ここに1st, Arbeit macht freiを録音する6人が揃う事になる。
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