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January 23, 2005

M001 Luglio, agosto, settembre (nero) [補足あり]

さて、Areaと言えばやはり1stの1曲目Luglio, agosto, settembre (nero)のあの8+7+8+6のBalkan phraseが最初に頭に浮かぶ方も多いかと思う。私も初めてあの曲を聴いたときの背筋に震えが走る感じはいまだに覚えている。
New_DE_Band_Goes_Underground 本家でも書いたが、Area本でFariselliがLuglio, agosto, settembre (nero)のネタになった曲として当時変態変拍子Big BandをやっていたDon EllisがBlugariaの民謡の楽譜を、当時BulgariaにいたPianist、Milcho Levievに送ってもらい、それを集めてarrangeしたBulgarian Bulge(public domain/arranged by Don Ellis)をあげている。Area本によるとFaricelliが友人の家でこの曲を聴き、この曲の中のFrank ZappaそっくりのTrombone奏者のsoloを聴いて、inspirationが沸き、一気にあのフレーズを書き上げたといっている。Original RecordingはUndergroundに収録されているが、残念ながらこれは現在廃盤の様である。しかし、彼らのLive、Tears of Joyでその演奏が聴ける。このVersionではAmericaへ渡ったMilcho Levievのアクの強い13拍子のsoloが聴ける。この曲はどうも、BulgariaのHoroとよばれるダンス音楽の中でも、変拍子が中心のRatchenitzaという民謡が元になっているらしい。
bulgariaで、Bulgaria民謡のCDを漁っていたら、1955年にブルガリアの民謡をPhillip Koutevという指揮者が集めた"Music of Bulgaria"というCDを見つけた。この中で、Jivka Klinkovaという女性の作曲家がBulgariaのanonymousな民俗音楽を集め、arrangeしたBulgarska Suita(1950)という曲を聴いてびっくりした。"黒"のphreaseの宝庫なのである。彼ら自身がこの曲を聴いて影響を受けたのか、各々の民謡のphreaseから影響を受けたのかは定かではないが、1970年代初頭という時代にBalkan MusicをJazz Rockに持ち込むというこのuniqueな発想はどこからきたのであろうか。

[補足]
オラシオ主催万国音楽博覧会を主催されているオラシオさんからの情報によればDon Ellisの所でsoloをとったtrombone奏者はGlenn Ferrisと言う人だそうで、ZappaのGrand Wazooにも参加しているとのことである。
情報をいただいたオラシオさんに感謝いたします。

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January 21, 2005

AREA, variazioni per pianoforte

copertina-area-smlさて、Capizzo亡き今、往年のAreaを継ぐmusicianはPatrizio Fariselli Projectを率いるKeyboardのPatrizio Fariselli一人になってしまったが、彼がMaenzaの古城で往年のAreaの曲をPiano soloで12曲収録した"AREA, variazioni per pianoforte"が、製作過程を収めたDVD(こちらはlimited edition)と共に3月に出ると、彼のhomepageで予告されている。録音は昨年の10月9日に行われ、演奏された曲目はLuglio, agosto, settembre (nero), Cometa rossa, Gioia e rivoluzione, La mela di Odessaなどであったとの事である。
lupiまた、Patrizio Fariselli Projectの1st、Lupi sintetici e strumenti a gasを聴いて欲しい。Area直系の音楽に女性Vocalが乗るすばらしいAlbumである。以前本家で
Patrizio Fariselli Projectについて書いた記事はこちら

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January 20, 2005

Caution Radiation Area

caution_radiation_area多分Event 76'に次いで、余り話題にならないAlbumかも知れない彼らの2nd album、Caution Radiation Area。かくいう私もLP時代はこのalbumを持っていなくて、10年位前にCDが出た時に初めて聴いた。余り話題に上らない理由は多分、Areaのalbumの中でももっともJazz、それも60年代末から70年代初頭のfree jazzやMiles Davis、Gil Evansなどの電化main stream jazzの影響が強いalbumであるからの様に思える。完成したTapeを聴いて、当時彼らやPFM、BancoなどのManagerをしていたFranco Mamoneが激怒し、Managerを降りてしまったというepisodeもうなずける程、ここではpop的、叙情的なものは一切排除されている。1曲目Cometa rossaを除けば、どの曲もまるで70年頃のMiles Davisを思わせる半分free form、半分Jazz Rock的な演奏であり、最後の曲LobotomiaはPaolo TofaniがカセットでEMS synthsizerを使い録音したアバンギャルドなsoudscapeである(この曲はheadphoneでは聴きたくない...)。Patrizio Fariselliはinterviewで、”SaxのEddy Busnelloが抜けた分、Jazz的な要素が少なくなり、現代音楽的な要素が強くなったAlbumだ。”と述べているが、ここでいうJazz的なものとは、Area加入当時既にJazzのback musicianとしてベテランになっていたEddyがbackgroudとして持っていったhard-bup的な物を指しているのではないかと思う。そして、Patrick Djivasの代わりに加入したAres Tavolazziは元々Jazz Musicianであったが、彼の演奏のbackgroudは新主流派的なものであったのだろう。彼はこのalbumではacoustic bassを使うことが多く、そのmodalなbass riffも当時の新主流派的な雰囲気に輪をかけているように思える。いわゆるArea的なBalkan phraseは余り聴かれないものの、硬派のJazz Rock作品としては私にとって1,2を争う好盤である。

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January 13, 2005

Vittorio Edoardo "Eddy" Busnello

eddie_1980"Arbeit macht frei"でsoprano & alt-saxを吹いているVittorio Edoardo "Eddy" Busnelloは1929年、北ItalyのNervesa della battaglia生まれで、1950年代は主にBelguimでAlt-Sax、Baritrone-Saxを吹いてpro musicianとして活動を始めた。50年代末にはドイツのKurt Edelhangenのbig bandにb-Sax奏者として加入し、このときMiles Davisなどとも共演したらしい。またこの時Jean-Luc Pontyと共演したCDが2001年に日本で再発されている。60年代にはParisに住み、Bud Powellと共演したのを初め、1960年代に彼がside manを務めたJazzのrecording、liveは膨大で、Kenny Clarke、Elvin Jones、Albert Mangelsdorff、Lee Konitz、Mal Waldronなどが挙げられる。ここここで、彼の60年代の演奏を試聴出来る。また1980年にFariselli、Tavolazzi、Capiozzoと演奏したときの音もここで聴ける。1985年、心不全の為に56歳で亡くなった。AreaのbiographyでのFariselliのinterviewによれば、Eddy Busnelloは”まるで映画のround midnightに出てくるDale Turner (Dexter Gordon)のような人生を送り、あの映画は涙なしでは見られなかった”と言っている。調べてみた限りでは、彼がいったいどうなったのかわからなかったのだが、どなたかご存知の方がいらっしゃれば是非教えていただきたい。

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January 12, 2005

Area Story - 04 - Arbeit macht frei前夜

areaconcerto(DemetrioのRibelli脱退後と、Crampsの創設者であるGianni Sassiの話を書きたいのですが、まだ資料が集まっていないので、とりあえずその4まで話が飛びます。これはそのうち...)

AreaのDrumとなるGiulio Capizzoは1969年にthe Egyptian Conservatory of the CairoでpercussionistであるAli Mohammedに師事していた。これはAreaの中東的なrhythm arrangeに少なからず影響を与えているのかもしれない。1971年、Demetrio StratosはGiulio Capizzoと出会い、これにLucio Dallaのバックを務めていた、Bassの後にPFMに加入するPatrick Djivas、PianoのLeandro Caetanoの2人が加わり、4 piece bandを結成。イタリア各地のDance Clubをドサ回りする。この頃はJazzに近い音楽を演っていたらしい。このbandにSaxのEdouard Busnelloが加わった。さらにGuiterのJohnny Lambrizziが加わり、Rock的な要素を増す。この後、主にPianoのみを演奏していたLeandro Caetanに代わり、Giulio Capizzoの幼馴染である軍隊帰りのKeyboard奏者Patrizio Fariceliが加わる。彼はArp Odysseyを初めとしたSynthesizerも弾き、軍のブラスバンドでSaxを吹いた経験があり、AreaでもKeyboardと共にbass-clarinetを演奏している。

califfi1972年に彼らはPFM、BancoなどのManagerをしていたFranco Mamoneに目をつけられ、彼のアドバイスでGuitaristをCaliffi, Noi TreでGuitarを弾き、当時Londonに住んでいたElectric Junky、Paolo Tofaniを呼び寄せ、首をすげ替えることにする。ここに1st, Arbeit macht freiを録音する6人が揃う事になる。

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January 10, 2005

Area Story -01- I Ribelli

ribelli 1959年に結成されたitaliaのbeat group "I Ribelli"は1967年までに8枚のsingleを出していたが、この年、フランス人であるJean Claude Bicharaが"I fuggiaschi"に参加するために脱退、解散の危機に瀕していた。ここでKeyboard, Vocalistとして新加入したのがDemetrio Stratosである。この年Stratosの歌った "Pugni Chiusi"がsmash hitとなり、1968年にかけて "Chi mi aiuterà" (Vanilla FudgeのKeep me hamging on)もHitする。この年、彼らは唯一のLP"I Ribelli"をRicordiより出している。現在、発売されているcompilation CDでは他に、Demetrioの歌うOver the raibow, Tom JonesのDelilah, BeatlesのObladi' obladàやOh, darlingなどが聴ける。この時期から既にDemetrioのあの濃いい歌い方は健在である。このサイト(1度のクリックではエラーになるので、一度エラーの画面を消してもう一度クリックすることでたどり着ける)でこれらの曲をDownload販売すると共に試聴可能であるので興味のある方はどうぞ。

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January 09, 2005

Arbeit macht frei

arbeit_rabel01_arbeit_macht_freiAreaの名前をはじめて聞いたのはPFMのライナーか何かだったと思う。"World became the world"から当時新しく加入したPatrick Djivasの紹介で”「国際的ポップグループ」エイリアから加入した”というのを読んだ記憶がある。当時は「国際的ポップグループ」と言うのを見て、Eurovision Contestなどに参加するpop groupだろう、多分"Matia Bazar"みたいな... などと思っていた。しかし、当時からPFM好きだった私はAreaのrecordを探していたのであるが、当時の輸入盤店でも新興minor record会社であるCrampsの輸入盤を見ることはなかった。
そうこうしているうちに数年が経ち、当時のワーナー・パイオニアがCrampsと契約を結び日本でAreaのrecordが出るという話を聞いた。確か1976年の秋であったと思う。11月には1枚目としてAreaの1stが出るという話だったので、楽しみにしていたある日、どこかの中古盤屋で中古盤漁りをしていたときに見つけたのが"Arbeit Macht Frei"であった。帯もなく、輸入盤だろうと思ったのであるが、安かったので即購入、家に帰って中身を見たらなんと発売前の見本盤で山岸伸一さんの書いたライナーもしっかり入っていた。で、ここから私とAreaの長い付き合い(?)が始まったのである。

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Demetrio Stratos 年表

demetrioeyesBiographyです、間違い、情報等ありましたらコメントをお願いします。

本名 Efstratios Demetriou

1945年 4月22日Alexandria生まれ
1958年  Conservatoire d'Athenes (アテネ音楽院)でPiano、Accordionを学びBritish Boys Schoolで英語を習得
(StratosのHomepageでは同年ニコシア Terrasanta修道学校入学となっている)
1962年 イタリア移住 the Architecture Faculty at the Politecnico di Milano入学
1963年 この頃からbandを始める
1967年 解散寸前のbeat group、I RibelliにKeyboard奏者として加入。
ribelli_singlesPugni ChiusiがHitする。
また、この頃Session manとしてPatty Pravoを始めとするrecordingに参加


1969年 大学時代の同級生Daniela Rancatiと結婚
1970年 I Ribelli脱退
1971年 Demetrio Stratos名義でSingle
Daddy’s Dream / Since you've been gone (Numero Uno (ZN 50142))を出す。
1972年 Giulio CapizzoとAreaを結成
1973 Area album debut
1974 Milanで1964年以来アヴァンギャルド集団ZAJを率いたGianni Emilio Simonetti、Juan Hidalgo、Walter Marchettiらと交流、John CageのMesostics、Voice versionを録音。
1979年 3月30日最後のコンサート Monzaにて
1979年 6月13日骨髄抑制にてthe New York Memorial Hospitalにて死去
Emilia-Romagna州Salsomaggioreに眠る。
1799年 6月14日この日MilanでDemetrio救済の為のコンサートが催され6万人の観衆を集めるが、1日遅かった...

2004年 10月29~31日 Tributo a Demetrio Stratos - Genova開催

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